粒や木(ツイッター)

ex-藤子文庫(モトフジ)の呟きです

村上春樹ライブラリー「変身するカフカ展」

ブログをチェックすると、前回の村上春樹ライブラリー(以下、ライブラリー)に関する”つぶやき”がちょうど一ヶ月くらい前なので、その一ヶ月の間に私は二回もこのライブラリーを訪れたのか、と我ながらちょっと呆れてしまいました。決して暇を持て余したりしてる訳でもないのですが。

前回の最後に少し触れましたが、高田馬場には早稲田松竹という古い名画座(映画館)があって、そこには本当によく通っています。今回も台湾の名匠エドワード・ヤンの特集を観るために高田馬場へ出たので、そのついでに足を延ばしたという訳です。映画館からライブラリーまで、だいたい徒歩十五分くらいでしょうか。

前回ライブラリーを訪れた際は展示替えの最中だったのですが、今回は新しい展示企画『「変身」するカフカ』が始まっていました。村上春樹カフカといえば「海辺のカフカ」という作品のタイトルが思い浮かびますが、正直に言えば私はこれまで、なぜ主人公の少年の名がカフカなのかよく解っていなかった、というか殆ど気にしたこともありませんでした。多分「なんでだろう?」と少しくらいは考えたと思うのですが、小説に引き込まれるうちにそんな疑問はすっかりどこかに吹き飛んでしまっていたのだと思います。

その謎が展示の中であっさりと明かされていて、なるほどなと納得したのですが多分割と知られた話なのでしょうね。ですが私にとっては大発見で、カフカという作家が、村上春樹の作品を読む上でとても重要なキーワードであるという気づきを得ることができました。

それは簡単にいえば、村上作品の(個人的には短編にその傾向をより強く感じるのですが)なんともいえない余韻、不確かさ、変な感じ、場合によっては欺かれたようにさえ感じる結末、そういったあの特別な雰囲気は、カフカからの影響を村上流に味付けしたものと考えると、凄く腑に落ちたといったところでしょうか。例えば、深夜に耐え難い空腹を感じマクドナルドを襲撃する、といったような奇妙な話の出発点はそこにあったのか、とか。訳の判らなさの理由が判った。ちょっとそんな感じがしました。

私としてはその発見だけでも充分だったのですが、その本家といってもよいカフカの魅力を再認識できたり、最新の研究による、これまで知られいたものとは少し違ったカフカ像を識ることが出来たりと、例によって規模の小さな展示でしたが、そこから得られたものは大きかったです。もっとゆっくりしたかったのですが、映画の上映時間もあったので、展示を見た後は併設された橙子猫というカフェでドーナツとコーヒーを飲んで帰りました。それは私にとって神社にお賽銭を投げるに等しい行為として。

最後にもうひとつ。このライブラリーには出入り口が三箇所あるのですが、敷地が坂になっているので一階から入ったのにニ゙階から出てまた一階に戻るといったような少し不思議な空間になっています。もともとある建物を改装したらしいので決して意図したものではないと思うのですが、その迷宮のような造りがまさに村上春樹の小説世界そのもののようにも感じられ、つくづくよく出来ているなあと感心した次第です。

変身するカフカ