本編のタイトル「アタクシは二千二十五年の正月をどう過ごしたか?」って、映画「ブレードランナー」の原作P.K.ディックの「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」みたいでカッコイイなあと自己満足に浸ってしまいそうになるのですが、これから語られるアタクシの赤裸々な報告は、決してそのような気の利いたものではございません。何故ならこれはつぶやき(粒や木)だから。つまり独りごと。殆ど意味のない鼻歌のようなものでしかないのですから。
ここまで読んで、おや?なんだか文章の感じが可笑しい。と思われた方もいるかもしれませんが、それこそアタクシが二千二十五年の正月をどう過ごしたか?という問いの答えなのでして、なにを隠そうついさっき、町田康口訳による「古事記」を読み終えたばかりなのです。つまり町田康が若干憑依した状態とお考えくださればよろしいかと存じます。
それで結局何を言いたいかと申しますと、今年の正月は町田康の「古事記」読んだでー。みたいな感じです。
近年の私はお正月はなるべく家から出ないで長めの小説を一冊読み通す、ということを楽しみに生きているのですが、話は飛びますが、私は五年前から五年日記をつけており、それによりますと昨年は「平家物語」(古川日出生訳)一昨年は「百年の孤独」(ガルシア・マルケス著)一咋昨年は「騎士団長殺し」(村上春樹著)その前年は小説ではありませんが「東京大学で世界文学を学ぶ」(辻原登著)を読んでいたみたいです。日記って面白いですね。ちなみにその前の年は「ねじまき鳥クロニクル(村上春樹著)」その前は「吉里吉里人」(井上ひさし著)と記憶していて、日記を見返さなくても結構覚えてました。ひょっとしたら順番がいれこになっているかもしれませんが。
話しを町田康口訳「古事記」に戻しますと、これが滅茶苦茶に面白かった。巷でよくいわれているのが、町田康の関西弁丸出しの柄の悪い文章と、ちょっと悪ふざけした様な意訳・超訳みたいな言葉のセンスが笑えるといった様なことですが、そのおかげで古事記に描かれた本来のストーリーが自然に読める様になっていて、そこが何より凄いなあむむむむむと唸ってしまいました。(以前、福永武彦訳で読んだ時には、あまり物語としては楽しめなかった記憶あり)そもそも当時の天皇ってみんな関西人で、しかも殺人も厭わない様な人々だったのだから、むしろこんなちょっとアブナイ感じやったんちゃう?みたいな感じもして、そんなところでもむむむむむと唸ってしまった次第です。
結論。新年早々むむむむむと二回も唸ってしまった。
※写真の解説をしますと、町田康口訳「古事記」書影、お酒、ウィスキー、毎年お正月になると見たくなるエヴァンゲリヲン新劇場版四部作。