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ex-藤子文庫(モトフジ)の呟きです

「阿賀に生きる」というドキュメンタリー映画

阿賀に生きる」という三十年前に撮られたドキュメンタリー映画を観る機会がありました。上映を企画したのは国立市で月に一度上映会を企画している国立映画館というグループです。https://x.com/kunitachieiga/status/1765145024927531153?s=20

そもそもfacebookでこのグループの活動を知ったことがきっかけで、大した予備知識もなく観に行ったのですが、これが大変な映画だったのでご報告します。

前情報として知っていたのは、この映画が水俣病新潟水俣病)の問題を扱った内容であるという事、そして海外などでも高い評価を受けた作品であるという事くらいでした。なのでおそらくは、病に苦しんでいる人たちの姿や、裁判などの闘争を記録した映画なのだろうと思っていたのですが、驚くほど見事にその予想は裏切られました。

もちろん裁判などの話題も出てくるのですが、上映時間の殆を占めていたのは阿賀野川のほとりで自然に寄り添って暮らす、三つの家庭の淡々とした営みだったのです。

囲炉裏を囲んで昔話をしたり、小さすぎて機械の入らない田んぼの稲を鎌で刈ったり、臼と杵で餅をついてお酒と交換したり。主な登場人物は皆七十を過ぎた老夫婦なのですが、それが三十年前の日本だとは、私にはちょっと信じられないような暮らしぶりでした。

改めて考えてみれば画面に登場した人々はみな水俣病の患者だったはずなのですが、令和の東京に住む私が近所で見かける老人たちに比べて、よっぽど明るく健康的にさえ見えたのです。

これは一体何なんだ。もしユートピアが存在するならばこのような世界なのではないだろうか。私は映画を観ている間ずっとそんなことを考えていました。多分、ぽかんと口を開けながら。

そういえば、熊本の水俣病患者と向き合った石牟礼道子の「苦海浄土」にも、なんだかそこに不思議な幸福感がるような気がしたことを思い出しました。天国と地獄。この世とあの世。しあわせとふしあわせ。それは人間が考えてすんなり理解できるような単純なモノじゃないのかもしれない。

阿賀に生きる」という映画は、そんなことを思わせる映画でした。

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