粒や木(ツイッター)

ex-藤子文庫(モトフジ)の呟きです

村上春樹ライブラリー「安西水丸展 村上春樹との仕事から」

2021年にオープンして以来ずっと行ってみたいと思っていた、早稲田大学国際文学館 通称・村上春樹ライブラリーへ、先日ようやく行ってきました。展示企画の「安西水丸展 村上春樹との仕事から」を観るためです。安西水丸というと初期村上作品の挿絵や表紙が有名ですが、当時を知る私としては、何かの雑誌を開くと必ずと言っていい程どこかにそのイラストが使われていた、超売れっ子で多作のイラストレーターという印象です。それで、多分見飽きていたという事もあったと思うのですが、いわゆるヘタウマな画風も当時の流行りくらいにしか思っていませんでした。

画家の日比野克彦イラストレーターの湯村輝彦、漫画家の蛭子能収しりあがり寿など、同時代に出てきたアーティストにはなぜかヘタウマな画風のヒトが多かったような気がします。今から考えると、バブルという過剰な時代に対する”違和感”みたいなものがその背景にはあったのかも、なんて思ったりもしますが、安西水丸もそういう流れのなかのいち作家という印象で、とくにそれ以上に特別なものを感じた事はありませんでした。ですが、なんとなく懐かしさもあって二、三年前に世田谷文学館で開催された回顧展を観に行ったところ、その線と余白の絶妙さ加減みたいなものに魅せられ、それ以来すっかりその魅力に取り憑かれてしまったという訳なのです。

なぜか最近はこういうパターンが多くて、ミュージシャンの細野晴臣も他のYMOのメンバーに比べていまいちその良さが判らなかったのが、やっぱり二、三年前に最新のアメリカツアーのライブ映画を観て、以来すっかりはまってしまったなんてことがありました。小学生の頃から知っていたのに。実は私の村上春樹好きも結構そのパターンで、高校生から二十代半ばにかけては好きだったのですが、ある時期からすっかり読まなくなっていました。「ねじまき鳥クロニクル」くらいの話です。それが五、六年前でしょうか、ふと思い立って読み始めて以来すっかり夢中になってしまい、こんな風にミーハーに村上春樹ライブラリーへ行ったり、毎月「村上RADIO」を録音して繰り返し聴いたりするほどになってしまっています。

歳のせいで懐古的になっているのかなとも思うのですが、より強く刺激的なものを求めていた若さから、作品やアーティストから本質的に響いてくるようなモノにより強く惹かれるように、心と身体(からだ)が変化したのかなという気もしています。

それが”老い”だと言ってしまえばそれまでですが、だとすれば”老いる”というコトは、ただ単に衰えるというコトではないと実感しているのかもしれません。村上春樹ライブラリーでの安西水丸展は小規模でしたが、その分一枚一枚の絵をじっくり観ることが出来ました。何回か足を運んでもいいかなというくらいでしたが(なんと入場無料)実はこの展示会の期間を勘違いしていて、会期が残り二週間というところでの滑り込みだったのがなんとも残念です。

ただ嬉しい発見だったのは村上春樹ライブラリーの充実ぶりで、ライブラリーという名の通り本当に図書館になっていたのには少し驚きました。村上春樹の著作や関連書籍以外にも幅広く選書されていて、併設されているカフェなどで読むことが出来て……

あまり詳しくは書きませんが、私はよく早稲田松竹という名画座に映画を観に行くので、これからはそのついでにコーヒーでも飲みに足を伸ばすのもいいかななんて思っています。

 

ひもの道 第二回「食材としての干物」

干物作りを始めたものの、思ったように魚が手に入らないという悩みを抱えていました。いわゆる”開き”になりそうで日常的に手に入りやすい魚はイワシとアジくらいで、どうもそればかりでは芸がないなあと思っていたわけです。

以前にそんな悩みの解決方法として、ブリの切り身やカマを使っての干物作りを試しているといったご報告をしましたが、イワシやアジの干物でも、それを使った料理のレパートリーを増やすとよいかもしれない、そんなことを思いつきさっそく検索してみました。こういう思いつきにネットの検索というのは本当にマッチしていると思います。

まずは洋風に丸干しイワシとニンニクのオリーブオイル焼き。ポテサラと人参のグラッセの付け合わせで精一杯洋風を演出してみたつもりです。これまではグリルで焼いて醤油を少々の一択だったので、これだけでもちょっと別の魚かなと思うくらいでした。

お次は、以前にも少し紹介しましたが、イワシのほぐし身のペペロンチーノ。イワシはアンチョビのイメージで、春キャベツと合わせてみました。普段はツナ缶なんかを使うところですが、むしろツナ缶より味わいが濃厚です。トマトソースでも絶対間違いないでしょう。絶対は絶対に無いとよく言いますが、この場合はそう言い切っても良いような気がします。

その他にもいろいろとありましたが、鰯は油と相性がよいようで、オイルサーディン風にしたり、フライにしたりといったものが目立ってました。そういえば、西荻窪の戎(えびす)という居酒屋に「いわしコロッケ」という名物メニューもあったなあ。

まだ試してませんが、アジの開きには混ぜ寿司のレシピを押さえてます。こうなってくると干物作りもなんだか忙しくなりそうです。

「阿賀に生きる」というドキュメンタリー映画

阿賀に生きる」という三十年前に撮られたドキュメンタリー映画を観る機会がありました。上映を企画したのは国立市で月に一度上映会を企画している国立映画館というグループです。https://x.com/kunitachieiga/status/1765145024927531153?s=20

そもそもfacebookでこのグループの活動を知ったことがきっかけで、大した予備知識もなく観に行ったのですが、これが大変な映画だったのでご報告します。

前情報として知っていたのは、この映画が水俣病新潟水俣病)の問題を扱った内容であるという事、そして海外などでも高い評価を受けた作品であるという事くらいでした。なのでおそらくは、病に苦しんでいる人たちの姿や、裁判などの闘争を記録した映画なのだろうと思っていたのですが、驚くほど見事にその予想は裏切られました。

もちろん裁判などの話題も出てくるのですが、上映時間の殆を占めていたのは阿賀野川のほとりで自然に寄り添って暮らす、三つの家庭の淡々とした営みだったのです。

囲炉裏を囲んで昔話をしたり、小さすぎて機械の入らない田んぼの稲を鎌で刈ったり、臼と杵で餅をついてお酒と交換したり。主な登場人物は皆七十を過ぎた老夫婦なのですが、それが三十年前の日本だとは、私にはちょっと信じられないような暮らしぶりでした。

改めて考えてみれば画面に登場した人々はみな水俣病の患者だったはずなのですが、令和の東京に住む私が近所で見かける老人たちに比べて、よっぽど明るく健康的にさえ見えたのです。

これは一体何なんだ。もしユートピアが存在するならばこのような世界なのではないだろうか。私は映画を観ている間ずっとそんなことを考えていました。多分、ぽかんと口を開けながら。

そういえば、熊本の水俣病患者と向き合った石牟礼道子の「苦海浄土」にも、なんだかそこに不思議な幸福感がるような気がしたことを思い出しました。天国と地獄。この世とあの世。しあわせとふしあわせ。それは人間が考えてすんなり理解できるような単純なモノじゃないのかもしれない。

阿賀に生きる」という映画は、そんなことを思わせる映画でした。

eiga.com

いいね!

フェイスブックインターフェイスってややっこしいなあとずっと思っているのですが、先日もちょっと戸惑うようなことが幾つかありました。なんだか通知が届かなかったり、確認してもどこにその情報があるのか判らなかったり。

私の場合、個人のアカウントと元古本屋のアカウントを使い分けているので、自分がどちらのタイムイラインに居るのか判らなくなったりすることもシバシバです。使いこなせていないと云えばそれまでなんでしょうけど、フェイスブックに限らず、便利すぎて逆に不便な事って意外とあるんじゃないでしょうか。スマホとかマイナントカカードとか。

そんな苦手意識も手伝って、SNSを頻繁に見たりはしないようにしているのですが、それで久しぶりに開いてみると、気になる情報がいろいろあってやたらと「いいね!」してしまったりもします。SNSって難しい所もありますが、それと同じくらい「いいね!」と思えるところもあって、案外人間臭いメディアなんじゃなかろうかと思ったりもします。

 

吉祥寺プラザ

吉祥寺プラザという映画館が一月いっぱいで閉館になった、というニュースは聞いていたのですが、闇太郎でおでんを食べた帰りにその前を通ると、閉館した映画館の壁に、在籍していたスタッフの方が選んだオススメ作品のタイトルが貼り出されているのが目に止まりました。

いわゆる名作といわれるものから、本当に個人的な趣味や思い入れで選んだのだろうと思われる作品、自分にとってはそれほどとも思えないような意外な作品など、選んだ人の人となりを想像されて面白かったです。

あたりまえですが、人の好みや感受性というのは本当にバラバラなんだなと改めて思いました。たとえ同じ作品が好きでも、実はまったく違った受け取り方をしてたりするのでしょうね、きっと。

寧ろ自分と全く同じ感性を持った人と出会ったら、凄く奇妙に感じるのかもしれません。ドッペルゲンガーってそういう事なのかもしれない。

吉祥寺プラザ

 

干物づくり

最近、魚の干物づくりを始めました。

鯵や鰯を開いて一晩ネットの中で夜風に晒す。いわゆる一夜干しです。

朝になり取り込んでからは、引き続き冷蔵庫でも干します。それを夕食のおかずにする訳です。スーパーなどで買ってくるものと違って、まだ少し生っぽさが残っているくらいの状態ですが、むしろ身がジューシーで美味しいくらいです。

なかなか手頃な魚が手に入らないのですが、いつも鯵と鰯ばかりではつまらないと思い、実験的に鰤の切り身を干してみたところ大正解でした。写真がそれです。軽めに塩をふって焼いただけですが、すこし焦げ色が付いているのが、おそらくは干して旨味が凝縮されたためと睨んでいます。

鯵の干物をアンチョビ風に見立てて、スパゲッティーの具に入れるなどして食べ方もちょっと工夫してみました。鰯のペペロンチーノは、イタリアでは絶望していても食べられるほど美味しいことから「絶望スパゲッティー」と呼ばれているとか。

もちろん絶望して無くても美味しかったです。

鰤の切り身の一夜干し

 

光る君へ

テレビドラマはよほど気になったもの以外観ないようにしているのですが、今年はNHK大河ドラマ「光る君へ」を観ています。いうまでもなく、紫式部を主人公にしたドラマですが、実はこの機会に並行して「源氏物語」も読んでいます。

源氏物語は54帖ですが、大河ドラマもちょうど52〜3話くらいのはずなので、毎週一帖ずつ読めば一年でちょうど読み切る計算です。ドラマと「源氏物語」はとくに物語的なつながりは無いようですが、ドラマでは当時の貴族社会の事情みたいなものがよく描かれているので、小説を読む上でも結構参考になるかなと思っています。

因みに読んでいるのは谷崎潤一郎の新々訳。最初は与謝野晶子で読み始めたのですが、和歌の解説がなく読みにくいのでこちらに変えました。和歌って慣れないと意味が解りにくいですよね。与謝野晶子歌人だから「これくらい解れよ」って感じだったのかもしれません。

www.nhk.jp